1923年6月広島生まれ、文筆家。1950年初頭から酒場梟を営み、地元文化人をはじめ、評論家の青山二郎、作家の井伏鱒二、写真家の土門拳らも広島に来ると訪れる店となった。1953年、中国新聞紙上で巻き起こった「第1次原爆文学論争」と呼ばれる議論の口火を切る。安易に原爆の惨状にふれる表現、そして広島では原爆を取り上げない小説や絵画は真の作品として認められないような風潮を批判した。広島市内にまだ美術館がなかった1966年画廊梟を開業し、優れた審美眼により広島の画家を紹介、育てることに力を注いだ。1986年の閉廊まで250件近い展覧会を開催。2013年3月没。