1927年平安南道(朝鮮民主主義人民共和国)生まれ、2017年没。
平壌第一中学校を卒業後、京城医学専門学校(1945年廃止)に通う。1945年終戦を機に、父方の故郷である現在の広島県竹原市忠海に移る。その後広島県立医学専門学校(現在の広島大学医学部)の1期生として医学を学び精神科に入局。学位を取得した際友人から油絵道具をもらったことから絵を始める。1967年赤松医院を開設。広島県精神神経科診療所協会会長を務めるなど医療での功績を残す傍ら、余技として絵や執筆など芸術活動にも力を注ぐ。1962年、画家の新延輝雄に師事し、華光会に入会。同時期に、広島の医師で結成されていた杏林画会でも出品を始める。以後、毎年日本医家芸術展(全国医師が対象)広島医家芸術展(広島県医師とその家族)などへの出品を中心に、生涯絵を描き続けた。